温故知新(ふるきをたずねてあたらしきをしる)
「八幡の練りは綺麗だでね」
「みんな感動してくれるぐらい自慢できる練りだ」
よくこういう事を聞くことがある。
たしかに自分が小中高の頃に見た八幡の練りは恐ろしく綺麗だった記憶がある。今でも役員だけの練りにはその片鱗を見る事ができる。自分も小中高の頃は練りの中に入っていたのだが、そりゃもう統制が厳しいのなんの。
前へならえもやった(冗談抜きで)し、列を乱せば蹴りやパンチが飛んできた。そういう時代だった。こう書くと怖いイメージが思い浮かぶと思うが、以下の記事を読むと怖さ抜きでも綺麗だったに違いないと想像する。
「八幡町の青年会の人が"うちの町はいいから見に来いよ"って云うから行って見たら、練りの時はすごくもみ見合ってるけど、終わるときちんと整列して行くのがもの凄くきれいでまとまってた」「激しくもみ合っても規律がちゃんととれてるのはやっぱかっこいいね」
~~~昭和53年 浜松百撰 小栗実氏(映画『合戦』製作スタッフの一人)の談話より~~~
ただなんでもそうかも知れないけど、放っておけばタガが緩み、なぁなぁになる。ここ何年か、昔の本当の八幡らしい練りを知る先輩方に声が枯れるくらい頑張ってもらったおかげでだいぶ締まったけど、放っておいたら提灯は振るは太鼓はヘンなリズムを刻むは、ちょっとなぁ・・・という有り様だった。
今までいろんな町の凧やら練りを見たり動画に撮ったりしているが、決してそれを真似るつもりではなく、それらを参考に先輩のやってきた素晴らしい凧や練りを思い起こして今の自分たちが良いかどうかの判断材料にしているだけと言っても過言ではない。
たしかに昔からの伝統は大事だし、栄華を誇る時もあっただろう。ただその記憶だけに甘んじていては、劣化している事にも気付かないかも知れない。
温故知新(ふるきをたずねてあたらしきをしる)。私は八幡の伝統が大好きな凧キチなんで、これまで通りいろいろ検証・実験・実践しながらやっていきたい