復活! 屋台の曳き綱の中での練り
お祭り明けの一週間が過ぎました。無理していた分が一気にぶり返してきた毎日でしたが、仕事も勝手にエコモード(出力50%未満)でなんとか休日にこぎつけました。
さて、合戦にしても鳴り物無しの練りにしても、やりたいようにやらせてもらった今年のお祭りですが、もうひとつ、どうしてもやりたかった事がありました。
それは屋台の中央周りの時に、屋台を止めて曳き綱を降ろしてその中に練りが入り込み、そこで練るというものです。中央各町は今でもあたり前のようにやっているかもしれませんが、「あぁそうだったね、懐かしいね」そう思われる方もいらっしゃるでしょう。
僕らの子供時代~青年期はこれがあたり前の姿でした。自町の屋台だけではなく他町の屋台の前でも練って万歳三唱をした記憶があります。また同様に他の町の練りも自町の屋台の前で練っていたように記憶しています。それくらいあたり前の姿でした
それがいつしか出来なくなってしまいました。キッカケは多分1990年のNHKの衛星中継だったと思います。それ以前は各町の練りは屋台と屋台の間を縫うようにして走り、鍛冶町通りで他町と交差して気勢をあげ、松菱の前では数町が入り乱れての激しい練りを行いました。
ところが衛星中継の時から鍛冶町通りへの練り流入が規制されるようになりました。時には鍛冶町通りへは練りは入ってはいけないという年もあったかと記憶しています。練りたいなら合同練りという形で屋台の出発前に練れと・・・
最初は渋々従う風潮でしたが、我々が伝統的に続きてきた事でもあり、鍛冶町通りでの単独町での練りも、松菱前での渦練りも徐々に行われるようになってきましたが、この「屋台の前で練る」事だけは当町では実現出来ていませんでした。
1990年以降やっていないとすると、22年のブランクがある事になり、当時の事を覚えているのは少なくとも30代以上、へたすれば40代以上になってしまう事になります。今ここで復活させておかないと、この先いつ復活できるか分らないという心配と、町内の長老からも是非やって見せてくれとの激励もいただいたため、今年チャレンジしてみました。
やってみると、いろいろと忘れている部分がありますね。練りが入り込む前に、屋台の曳き綱内にスペースを作っておかなくてはならないとか、曳き綱に足を引っ掛けないように練らなきゃいけないとか。
そんな心配をしながら練りを進めると、屋台の楫取りさん達がしっかりと曳き綱を踏んづけてくれていました。「そうだった、そうだった。あそこはしっかり踏んづけてないと・・・」
心の中で先輩に感謝しつつ、四日と五日に一回ずつ成功させ、万歳三唱も行いました。
参加町数の急増期以降、伝統的に続けてきたことが出来なくなったままになっているものもあると思います。
今年はたまたま会場内でしたが、陣屋の位置も我々はずっと会場内に居た。そこでやるのが当たり前だった。うわべの原点回帰ではなく、みんなで力を合わせ伝統的に行なってきたものの「原点回帰」をしたいと強く願っています
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