6/18と戦前の屋台

NAVA@八まん連

2012年06月22日 00:20

おとといの台風はひどかったですね。みなさん大事なかったですか?

その日はブログの記事を書いていたのですが、停電のおそれが出てきたので途中で電源を切りました。

書いていた記事は6/18のことです。
6/18といえば浜松大空襲を思い浮かべる方も多い事と思います。

全国的にもかなり大きな規模の空襲だったようで、「浜松大空襲」でgoogle検索すると様々な記事がHitします。

豊橋図書館のHPより「空襲回数日本一の浜松」
http://www.library.toyohashi.aichi.jp/oshirase/sonota/H21.kuushuu.hamamatsu.pdf


>6月18日午前0時10分からの浜松大空襲ではB29約100機の
>大編隊が全市を爆撃、本市は実に65,000発という莫大な
>数の焼夷弾によって焼き尽くされ、1万5,000余戸の家屋が全焼
>1,717人の死者を出すという最も大きな被害を被ったのである。
>また、7月29日の深夜には艦艇8隻による艦砲射撃で
>2,000発の砲弾を浴び、170人の死者を出している。



多くの人の命が奪われた空襲ですが、浜松の街並みも、そして貴重な浜松まつりの屋台も一部(野口・八幡・鴨江)を除いてすべて灰になってしまいました。


(出展:浜松まつり会館10周年記念誌「浜松まつり」H8年)

屋台50周年という事で戦前の先代屋台の資料も集めようとしているのですが、製作者すら分らない状態で、当時の情報がなかなか集まりません。
屋台だけではなく関係資料も燃えてしまったので、戦前の事はほとんど残っていないというのが浜松の実態ではないでしょうか。わずかに残る資料を今のうちに集約したいですね。


伯母たちから戦前の話を聞く機会があったのですが、昭和13年に建てた総二階70坪の家もこの空襲で燃えてしまったそうです。自宅の前の道路に焼夷弾が点々と落ち、なすすべもなく燃えてしまったとか。




そう思うと、我が町先代屋台はよく燃えなかったものだと思います。
今の屋台同様、歴史をしっかりとどめなくてはなりません。

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