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2011年07月07日

凧は男性的スポーツ

ネガな書き込みが続いたので、この辺でスカッとする話題を書きます。

昭和23年、終戦後まる三年たたないうちに復活した凧揚祭の案内文です。(出典:『浜松まつり』1996年,浜松市観光コンベンション課)



   拝啓新緑の候皆様の御健勝と御事業とを併せて御喜び申し上げます。
 
   浜松名物凧揚祭も戦時中中絶して居りましたが復興浜松と共に再び
  健全娯楽・男性的スポーツとして復活致し、昼間は中田島海岸に
  夜間は各町屋台の曳廻しを行ひ端午の節句を御祝いしたいと思ひます。
   就いては斯道奨励のため公私共御多忙の折柄恐縮とは存じますが
  御来臨の栄を賜り度く御案内申し上げます。    敬具

 日時 昭和二十三年 自五月三日至五月五日午後一時ヨリ
 場所 浜松市中田島海岸

 昭和二十三年四月三十日 浜松市千歳町九一番地 浜松市連合凧揚会



いいですね~♪

「健全娯楽・男性的スポーツ」
こんなふうに言わせてみたい! 


もちろんお施主さんに喜んでいただける祭をするのが最重要ですが、浜松の男どもを熱狂させてきた凧祭。

やっぱ勇ましくなくっちゃ




Posted by NAVA@八まん連 at 22:27│Comments(3)
この記事へのコメント
千歳町91番地
早速調べた 今のR92ビルのほぼ中央だった。昭和23年復興直後の姿ってどうだったのか?時々タイムスリップしたくなるなぁ。
Posted by 八幡さまの鳩 at 2011年07月08日 00:56
>八幡さまの鳩さん

早速の調査ありがとうございます。
これに先立つ昭和二十二年の凧は、屋台参加が48町、凧は15町であったそうです(出典:『浜松まつり―学際的分析と比較の視点から―』)

凧の参加は北寺島、相生、浅田、船越、三組、砂山、佐藤、天神、八幡、海老塚、平田、馬込、寺島、野口、追分だったようです。

戦後一年たらず、食うものにも困る次代に凧をやったのですね。中心区域の参加がないのはきっと大空襲の影響だと思います。そのわりに屋台の台数が多いのは急造もしくは借り物と出典文献では述べています。

昭和五年に作られ、焼けずに残った屋台を当時先輩たちはどのように見ていたのでしょうね
Posted by nava@八まん連 at 2011年07月08日 02:02
築造後17年、町民にとってそりゃあ大切な御殿屋台、奇跡的に戦火を逃れ勇姿を確認した時の喜びは簡単に想像できるし、そのシンボルのもと復興をなしとげた当時の人達の姿も見える様な…。
昭和55年頃にあったと記憶する公会堂でのボヤ騒ぎ、鎮火したにもかかわらず、腕組みし険しい顔で屋台を守っていた先輩方を思い出した。いつまでたっても屋台と凧印は町民の象徴と改めて感じる。
Posted by 八幡さまの鳩 at 2011年07月08日 11:25
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