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2012年08月06日

御旗の楠 (雲立の楠)



『遠江国風土記伝』には永承六年(1051年)に八幡太郎義家が安倍頼時を征伐のため、東国にくだる途中この地を通り、

「地名が八幡というのはめでたいことである」

と楠に旗をたてかけ、武運を祈り一首の和歌を神前に詠進した……とある。その和歌が、

『契りあれば 帰り来まても石清水かけてぞ祝う浜松の里』

で、こうした伝承を生むほど宮の歴史は古く、楠の大樹が別名「御旗の楠」と呼ばれるのもこの故事によるものである。 引用元


この1051年の陸奥出陣・安倍頼時征伐とは、中学の歴史の授業で習った前九年の役・後三年の役の事ですね。


【前九年の役】ぜんくねんのえき
永承6年(1051)から康平5年(1062)にかけて、陸奥(むつ)の豪族安倍頼時とその子貞任(さだとう)・宗任(むねとう)らが起こした反乱を、朝廷が源頼義・義家を派遣して平定させた戦役。後三年の役とともに源氏が東国に勢力を築くきっかけとなったとともに、源氏が武士の棟梁(とうりょう・リーダー)としての地位を確立させるきっかけとなった



ではなぜ源義家=八幡太郎義家は八幡宮に参篭(神社などに一定の期間こもって祈願すること)する事になったのでしょうか?

なぜ浜松駅からも浜松城からも離れた位置にある八幡宮付近をわざわざ通ったのでしょうか?


それは、わざわざというより、当時は東に向かう主要街道が八幡宮近辺を通っていたと考えるほうが自然ではないでしょうか。



※雲立の楠は静岡県指定天然記念物(1952年4月1日指定)




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Posted by NAVA@八まん連 at 19:14│Comments(0)歴史
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