
2016年04月06日
染色屋育ちの思い出~とと姉ちゃんに寄せて~その3
大正時代は第一次世界大戦による世界的な織物不足もあって、繊維業界は未曽有の好況だった。
祖父は親戚の染色工場の従業員としてスタートしたが、やがて独立を考えるようになる。
常盤町生まれの伯母は、勤めを終えて帰宅した祖父が、若い従業員を交えて染色技法について議論している姿を覚えているという。
そうして昭和9年、北部耕地整理事業によって整理された八幡町に居を構え、染色工場を立ち上げた。
祖父、祖母、その子ども四人の生活が始まった。
昭和9年の初節句の資料。昭和9年4月8日生まれの父の名前がある。きっと、たかられ放題だったんだろうな


Posted by NAVA@八まん連 at 19:26│Comments(0)
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