
2011年06月19日
片側14個あった提灯
メインのホームページhttp://hachimanren.ws.dk-style.jp/の表紙の写真を変えてみました。先日も町内の先輩後輩と話していて話題にあがった片側14個ずつ提灯があった時代の写真です。
今のと比べてみてどうですか?

画質がや構図が違うので今の方が良く見えなくもないですが、今の数だと真横から見るとスカスカです。子供の頃の記憶にある丸い提灯がたくさん揺れている姿がやはり本当の姿でしょう。
亡くなった屋台監督者から「元々片側14個あった。だんだん提灯が破れてきたのに買ってもらえなかったから仕方なく間引きした」と聞いています。表新の写真も何個かは提灯がなく電球のままになっていますね。当時の苦労がうかがう事が出来ます。予算的にどうなのか、配線が生きているのか、クリアしなきゃいけない課題はあると思いますが、一刻も早く元の姿に戻したいですね。
それともうひとつ。八幡の屋台の幕は下までしっかりと降ろしてあったと聞いたことがある人も多いと思いますが、表紙の写真がその証拠です。
今ではクシャクシャっと丸め上げられていることが見送り幕も粋な感じに仕上げています。
ビシッと並んだ丸い提灯、しっかりと張った幕、当時のコンセプトを大切に受け継いでいきたいですね。

Posted by NAVA@八まん連 at 23:47│Comments(2)
この記事へのコメント
八幡町の屋台は総漆塗り、6本柱など掛塚の屋台を強く意識した造りだと思いますが、NAVAさんの仰る通り隙間なく丸提灯の並んだ姿が本来のものでしょうね~。
昔見た市政ビデオの映像では、もっと低い位置に提灯が付いていたように思います。
探したらありました。ttp://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/movie/sisei/s38_s40.htm
「浜松の凧あげ」の最後のシーンに出てきますが、昭和40年当時は屋台幕よりも低い位置で丸提灯が揺れています。
幕も下がっていますね。
八幡町の屋台は美観を損なう外部スピーカーは今でも付いていないのですね!美しいです。
八幡屋台の一ファンとして今後も期待しています。
昔見た市政ビデオの映像では、もっと低い位置に提灯が付いていたように思います。
探したらありました。ttp://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/movie/sisei/s38_s40.htm
「浜松の凧あげ」の最後のシーンに出てきますが、昭和40年当時は屋台幕よりも低い位置で丸提灯が揺れています。
幕も下がっていますね。
八幡町の屋台は美観を損なう外部スピーカーは今でも付いていないのですね!美しいです。
八幡屋台の一ファンとして今後も期待しています。
Posted by naka at 2011年06月20日 20:33
今では建設不可能と言われている六本柱、お囃子の子にゃ悪いけど目一杯下げられた幕、図柄は足付きの金日鳩、小糸で吊られた横一線の丸提灯、漆黒と金箔のコントラスト、虫が食った葡萄葉、さわるなの怒鳴り声、何故かサイとライオン……軋む音。先人特にQ様の最高の屋台をとの思い入れが強く感じられる。
自転車で掛塚の屋台を見に行き、飛騨高山まで足を伸ばし研究し、予算が足らず市役所にかけあって完成させた屋台。
間違いなく最高です。
もうすぐ半世紀 皆で絶対当時を再現する。
まつりの後アスファルトに刻まれた車両の跡をにやけながらロマンを感じるのでした。
自転車で掛塚の屋台を見に行き、飛騨高山まで足を伸ばし研究し、予算が足らず市役所にかけあって完成させた屋台。
間違いなく最高です。
もうすぐ半世紀 皆で絶対当時を再現する。
まつりの後アスファルトに刻まれた車両の跡をにやけながらロマンを感じるのでした。
Posted by 八幡さまの鳩 at 2011年06月22日 00:22
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