
2011年07月05日
~凧合戦と屋台~ NAVA@八まん連
昨日のブログで初子の祝いという言葉に違和感があるという事を書きました。
ナーバスな話であることは分かっているし、お祝いを否定するものでもない。
初凧をしっかりと揚げ、お施主さんに失礼にならないよう粗相とぞんざいなく接待をいただくのは子供の頃から植えつけられている事だし当たり前の事だと思っている。だけど浜松まつりは初子の祝いと言われると、どうにもカチンときてしまうんだよね。
先日の総会でも市長が「初子を祝うという原点に戻る」と言っていたり、アンケートでも初子のためのまつりとか初家のためのまつりが原点という回答がたくさんあったけど、なにを証拠にそう言い切っているのか非常に疑問に感じたのです。
先日紹介したIKEの本や山崎源一さんの本、昭和32年の浜松百選創刊号のまつりに関するコラムを見てもそんな事はほとんど言ってないんだよね。先日紹介した市制ビデオでもそう。
では、なんでこんなに目くじら立てているか。
このままだと今後もどんどんまつりの姿が変わっていってしまうような気がするから。実行委員会制度になって物事が決まるようになると「これが原点だ」という声にどんどん押し切られそうな気がするから。
仮にそれが原点だとすると初のない町は参加資格がないって話しになるし、初子祝いと関係のないものは価値がないと言う事になってしまう。凧自体は初凧として残るだろうけど合戦は意義を無くすだろうし、屋台の存在も説明がつかなくなる。凧なんかやらなくても初子祝いをすればお菓子やジュースがもらえると子供たちが思うようになるかもしれない。
極端な例を書いたけど『浜松まつり』という名称自体がその内容を表していないだけに、どんな祭りなのかは解釈ひとつでどんどん変わってしまう危険があると思っています。田原の凧まつり、三条凧合戦、白根の大凧合戦、こういう名前だったら凧や合戦技術という根本が大切にされ受け継がれていくのだろうけれど、「初子を祝うのが浜松まつり」が定説になってしまうと、凧は本当にどうなってしまうのだろうかと心配になります。特にこれから多数決で決められるようになると思うと・・・
ちょっと書きずらい内容だったのですが、総会以降ずっとふつふつとしていたので思い切って書きました。毎日IKE本や昔の百選の凧に関する記事を読みまくっています。そこには俺の思う原点が書いてあるから。
今後また紹介していきます。
Posted by NAVA@八まん連 at 00:24│Comments(0)
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