2009年10月14日
宮口 研精社の三階屋台の里帰り
宮口研精社の三階屋台の里帰りを見学に名古屋へ行って来たことは報告の通りですが、はて何のこと?と思われる方もいると思うので少し書きます。
三階屋台と呼ばれるこの屋台は今から190年ほど前に造られ、その後、掛塚の蟹町、二俣の車道を経て明治の終わり頃に宮口に来たそうです。その二つの町では屋台を動かした後災害があったと言われ、宮口では屋台を動かすことなく大切に保存してきたそうです(町区・研精社の現屋台は昭和六年に建造)
今から十数年前に保存用の箱の墨書と彫刻の一致により名古屋の下花車町の二福神車の旧車であることが判明して以来、二福神車の方々は毎年のように宮口を訪れるようになり、また宮口からも名古屋に行くなど交流が含められ、今回の里帰りになったようです。
過去宮口でからくりの上演が行われたり、動かないと思っていた三階屋台が曳行されたり、多くの提灯で飾られたり、それだけでも感動の連続だったのですが、まさか170年の時を経ての里帰りが実現するとは夢にも思いませんでした。
これも関係の皆さんの山車を思う気持ち、我が町の伝統と文化を大切にする思いの強さからだと思います。
いや、本当に凄いことです。名古屋で見学中は本当に夢を観ているような気持ちになりました。
では写真を少々。落ち着いたらまた動画をアップします





参考にさせていただいたホームページ
尾張の山車まつりhttp://www.owarino.jp/
研精社WebSite http://kenseisha.sakura.ne.jp/index.htm
三階屋台と呼ばれるこの屋台は今から190年ほど前に造られ、その後、掛塚の蟹町、二俣の車道を経て明治の終わり頃に宮口に来たそうです。その二つの町では屋台を動かした後災害があったと言われ、宮口では屋台を動かすことなく大切に保存してきたそうです(町区・研精社の現屋台は昭和六年に建造)
今から十数年前に保存用の箱の墨書と彫刻の一致により名古屋の下花車町の二福神車の旧車であることが判明して以来、二福神車の方々は毎年のように宮口を訪れるようになり、また宮口からも名古屋に行くなど交流が含められ、今回の里帰りになったようです。
過去宮口でからくりの上演が行われたり、動かないと思っていた三階屋台が曳行されたり、多くの提灯で飾られたり、それだけでも感動の連続だったのですが、まさか170年の時を経ての里帰りが実現するとは夢にも思いませんでした。
これも関係の皆さんの山車を思う気持ち、我が町の伝統と文化を大切にする思いの強さからだと思います。
いや、本当に凄いことです。名古屋で見学中は本当に夢を観ているような気持ちになりました。
では写真を少々。落ち着いたらまた動画をアップします
参考にさせていただいたホームページ
尾張の山車まつりhttp://www.owarino.jp/
研精社WebSite http://kenseisha.sakura.ne.jp/index.htm
Posted by NAVA@八まん連 at 22:54│Comments(0)
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