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2009年01月25日

ざざんざの松 4 肘付きの松

ざざんざの松 4 肘付きの松



私がはじめて「肘付の松」という言葉を目にし、その後ざざんざの松に興味を持つようになったのはこの絵がきっかけでした。前回紹介した絵に似ていますね。

この絵は当町に在住の方が大正7年頃の八幡町の様子を描いた貴重な資料で、この肘付の松以外にも江戸城無血開城の立役者と言われる山岡鉄舟が八幡宮の境内で寺小屋のようなものを開いていたとも書かれています。

この絵を見る限り、ざざんざの松は八幡宮まで這い伸び、そこで肘をついたように立ち上がっていたため「肘付の松」と呼ばれていたようです。絵には「立ち上がり松」とも書いてあります。左の松のすぐ隣に雲立ちの楠があります。

興味があったので図書館で肘付の松の資料を探したところ、このような資料が見つかりました。

ざざんざの松 4 肘付きの松



ざざんざの松 4 肘付きの松



昔はざざんざの松のある場所に遺跡(颯々明神と書いてある)があった。
肘付の松は確かに存在し、大正10年はかなりの大きさだった

これらの事より将軍足利義教が「松が臥竜の様に這い伸びている姿を見て浜松の音は颯々と謡ったと」言われる浜松地名由来説の裏付けになると思います。

義教の他にも1051年に八幡太郎義家が陸奥に出陣の際に八幡宮を参拝したという由緒もあり、八幡宮が東に向かう主要街道筋に位置したと考える説もある事から、将軍義教が宴を開いて歌を詠んだのも松の下というより八幡宮の境内に近い所だったのかもしれません


2008年にざざんざの松は移植されてしまいましたが、このような由来がある事を残して置かないと何故浜松の地名の由来なのか、八幡宮とどんな関係があったのか、その内わからなくなってしまうという思いからまとめてみる事にしました。

このように考えてみると野口公園よりも我が町にある浜松八幡宮に移植した方が適切だったのかも知れませんね



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Posted by NAVA@八まん連 at 23:27│Comments(2)マニアック
この記事へのコメント
すごい量のざざんざの松の資料!!!

びっくりだなア☆

ためになる★


私的には、野口公園がきになるるるる!!

情報入り次第、教えて下さいね~☆
Posted by いちご at 2009年01月26日 19:15
>いちごさん

元々は我が町のシンボルの八幡様の研究をしてたらざざんざの松に行き着いたのです。

いつかまとめようと思ってたのを一気に書きました。

山岡鉄舟を研究している人達のサイトがあるんですが、浜松で寺子屋やってたと言ったら驚くかも。

追加情報ではないのですが
野口公園の写真アップしときました。
Posted by NAVA@八まん連NAVA@八まん連 at 2009年01月26日 22:28
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